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酒と音楽が好きなゲイのブログ

生きる

しばらく、どうしてこんなに悲しいのかを考えていた。夏が始まる前くらいにやってきた”そいつ”はゆっくり時間をかけておれを悲しみの海へと運んでいった。悲しみの海は、あざかやなスカイブルーの色を模していた。プールの底。ずっと戻ることができない外の世界。見上げれば太陽の光がチラチラとこちらを覗いている。蝉の鳴き声、入道雲の形、アスファルトが焼ける匂いが懐かしくてたまらなかった。慈しみ合うことは何よりも不可解で、そして残酷だった。悲しみはきっとどこにでもあって、誰でも持っている。ただ、量が多いか少ないかの違い。悲しみと向き合えば向き合うほど、悲しみには勝てなくなっていく。人と向き合い、わかり合うことについて、首を突っ込めば突っ込むほどわからなくなるのと同じだ。
結論として、悲しみとは向き合うことができなかった。だから、悲しみを理解するのではなく、悲しみをコントロールできるようになれたらと思う。BLEACH虚化と同じだよって言えばわかりやすいかな。

9/17
約1年半ぶりくらいにライブをした。久しぶりのステージの上は、思い出す記憶の中よりもずっとキラキラしていて、眩しすぎた。震える指先がギターの弦をすくい取れるよう、何度も口から息を吐いて吹きかけた。
ライブは一瞬で、その時のことはほとんど覚えていない。ただ、おれの中にある悲しみが確実に外に逃げていった。浄化された体では、何もかもが軽く感じる。軽快なステップを刻み、ステージ上を滑るように踊り続けた。比して音楽は明るく、哀しく、透明で、優しかった。たった30分のステージで、メンバーと音楽の中で会話をする。もう平気だ。おれたちは音楽の奴隷になった。

平日の9:30にコンビニの前で吸うタバコや、知らない男とその日キスをしたこと、こんなリアルも意味ないね。

音楽は永遠にそこにいた。おれの帰りを確実に待っていた。好きな人に振り向いてもらえなくてもいいや、どうせみんな演技をしているんだ、そして当事者を回避している。何が愛で何が恋なのかもわからないままでいい。不器用でいい。

ライブが終わって数日が経ち、レトルトのエビのチリソースを温めながら、そう思った。いま、心斎橋のど真ん中で道に立ちながらこの文章を書いている。
おれはおれだ。