届け!SNS!

酒と音楽が好きなゲイのブログ

wasted youth

夏になると下山を聴きたくなる。それはきっと去年の夏、1人で大阪に来て、誰に何を頼っていいのかわからなくて、音楽しか頼るものがなかった時、1番聞いていたバンドだからだと思う。

 

GEZAN / wasted youth - YouTube


音楽はいつどんな時も1番どうしていいかわからない時の道標になってくれる。そう信じて8年弱が経った。
社会人という新しい環境と、大阪という新しい土地で何を信じていいのかわからないおれには音楽を愛することしかできなかったし、音楽しか信じられなかった。
わからないんだよ。どうしていいのかとかどうしたいのかとか。答えがどこにあるのか全くもってわからない。暑くてたまらない関西の夏の毎日に卒倒しそうで、逃げ出したくてたまらなかった。できることなら、今すぐにでも関東に戻りたかった。
そんな毎日をどうにか変えたくて、必死になった。少しでも何かに夢中になれればと思っていたし、愛せるものや信じられるものが増えればと思って、恋をしようとした。たくさん色んな人に会った、どれもこれも実ることはなかったけど、もがき苦しんだ記録が、この音楽の、この曲の中に染み付いていて、自分の記憶の中に記録されている。
1年経って再び同じ曲を同じ季節に聞いた時、それを思い出すことになるくらい濃い時間を過ごしたなんてことは去年の今頃の自分は想像もしないことだろう。

6月に入ってすぐに今年2回目の事故を起こした。
今回は擦ったとかのレベルじゃなくて、左車体がぐっしゃぐっしゃになった。こんだけ派手にやらかしてるのに、本人は無傷。会社に電話した時、課長は体の心配はしてくれなかった。この事故でいくらの損害が出るのかだけを簡潔に答えた。後になって、今回の事故が思ってたよりもトラウマになってることに気がついた。これが引き金になったのか何が引き金になったのかはわからないけど、週末にめまいを起こした。
恋人の部屋で目を覚ました時、視界が回っていた。ご飯を作ってあげる約束をしていたけれど、どうしても何もできなくて、家まで送ってもらった。付き合ってから日が経っていない間に持病の瞬間を観せてしまったのは明らかにおれの失態だった。かつて、体が弱いことがきっかけで恋愛が終わったことを思い出した。その日は家に帰ってからずっと寝ていた。翌朝、まだフラフラしたけど、ちゃんと出勤した。社会人2年目の夏が始まる。

ツイッターで、年下の知り合いの男の子が恋人との1周年記念で旅行に行っている情報を手にした時、ただ単純に自分も同じようなことをしたいと思ったし、真っ先に好きな人の顔が思い浮かんだのはいいけれど、果たしてそれが本当に叶うかどうかは自分次第だし、第一未来のことなんてわからないし、と卑屈になるのがおれらしい。どの恋愛もスタートと同時に結末を考えてしまう。映画が始まった瞬間に何時に終わりになるのかを考えてしまうのと一緒だと思う。楽しくてワクワクしてドキドキする時間に終わりが来る。終わりがきて、寂しくなる、そんなことばかりを想像してしまう。それは本当に暗くて怖い。野井戸のようなものに似ている。どこにあるのかわからない地雷を踏まないように歩くのに似ている。目に見えない終焉を考えるよりも、目に見える一瞬一瞬と向き合って、終焉を忘れていくしかない。終焉に怯える日々はやめた。

何週間か前の週末の夜、恋人の家から帰宅する時、バスの扉が閉まる瞬間のお互いの顔が見えた最後の一瞬が妙に寂しくて、何も言えなかった。バスの車内にあるデジタルの時計が9:25になった瞬間に扉が閉まって、強制的にさよならさせられたみたいだった。扉が閉まるのと同時におとなの掟が頭の中で流れた。

お昼ご飯がすき家だって、疲れてセックスしなくて寝ちゃったって、そんなことはどうでもいい。そんなことは最初から問題にしてない。

誰かのためにご飯を作ること。誰かとご飯を食べること。小さな幸福がいつまでも続かないのではないかと疑ってしまう。幸せになればなるほど、自分は本当は幸せになってはいけないのにと疑ってしまう。

幸せって本当に怖い。
どうしていいかわからない。
怖いけど、楽しくて、どうしようもない。
後ろを振り返るのはもうやめた。
1人で音楽を聴きながら泣いている夜よりも、好きな人を思いながら缶ビールを飲もう。
あの日、十三に舞い降りたおれはこの街には色がないと言っていた。
この街に色をつけてくれる誰かが現れるのを待つしかないと。
少しずつかも知れないけれど、この人は色を塗ってくれる人だよ。
大阪という街に色をつける。この街は何色にもなれる。あなたがいれば。