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酒と音楽が好きなゲイのブログ

始発

どうして世の中の男はつまんない男が多いのか。仕事に情熱を持ってない奴が多いのか。最近そういったことばかり考えている。若いからまだ大丈夫だよ、いろんな人と会っていろんなことしたらいいよって、てめえおれより先に生まれて生きてるからって何おれの人生わかったみたいな口で言ってんじゃボケ。てめえの人生をおれの人生にかぶせるな、ふざけんな。

そうやって、いつだって強気になって、躍起になって空に向かって暴言を吐いてる。鼓舞することで自分を保ち、他人に対して優しくなれるなら、まだマシだと思う。
誰かから相談を受けたりして、自分の考えを話すのは簡単なように見えて難しい。魅了があるね、落ち着いてるね、若いのによく考えてるねとかなんとか言われる度に、この人今まで何を見て、何を感じて、それから何を考えて生きてきたのかなと思う。その場しのぎで会話するのは誰だってできるだろ。おれたちは言葉でしか相手のことを理解することをできない悲しい生き物だから。
言葉以外にはまぐわうことでしか相手を知る術を知らない。けれども、残念ながらまぐわうことは自傷行為に匹敵し、そこまでして相手を知るのは実に体力を使い、そして疲れて、癒しを求め、けれども癒しという感覚は肌を介することでしか理解できないと思っている人が大半であり、さらなる自傷行為につながる。
その人が使っているボディソープ、柔軟剤の香りは、常にプラットホームの向こう側へと歩を進める努力をしている。匂いや感覚は無意識の範疇ではあるが、人にとっては意識内に存在して、そしてそれは絶対的な力を持っている。だけど、みんなはそんなことを考えてもいないし、考えようともしない。1日は三食であることに疑問を持つ人はいるのか、もっと言えば食事をすることに疑問を持つ人はいるのか。
3食の食事はルールに似ていて、生まれた時に教わっている。食事をすることは本能であり、これも生まれた時から教え込まれている。
だから、誰1人として、疑問に思わない。それは、悲しみというものを疑うこと、悲しみというものを理解することをしないのと同義だ。

ここ数ヶ月、ずっと悲しみから逃れようとしていた。悲しみに対して何も思わないようにして過ごしてきた。‪振り返ったところに、すぐ悲しみがいるなんてのはわかっていた。‬
いつも悲しくならないために、振り返らないように前に進もうとしていた。いろんなことを頭に詰め込んで、周りを雑音で覆って、常に前しか見ないようにした。
言葉の配列や力が自分を傷つけるなんて、考えればわかることだった。
それでも、振り返った時の悲しみと向き合うよりは全然楽だった。
いつかの夜に間違ってブルーベリー味のタバコを買ったのも、それを全部しばけなくて捨てたのも、今はいい思い出だった。好いてくれる人を好きになることができないこと。その人となんとなく連絡を取り合わなくなったこと、それは全部選択肢と価値観の問題なのかもしれない。
おれがここに書いてあることは、悔しいけれど全てはララランドでも描かれていることだ。
けれど、ララランドをそこまで婉曲して見ている人なんてのは、この世には少ないのは確かなことで、それは不思議でもなくて、普通のことだった。
普通になれない自分が地上から3ミリほど浮いて過ごしているのは、普通になろうと努力をしている必死さが目に見えて醜い行為であった。
機会を伺っては、巣に戻り、涙を拭いては、稼ぐために満員電車に揺られるのはどう考えても普通の人と似ていた。心が焼け野原だということを除いて。


‪”おれたぶん、あなたが、思ってるような人じゃないと思うよ。おれたぶん、あなたのこと好きにならないと思うよ”‬


こういうことは誰かと出会うたびに感じることの一つだ。
少し前までは好きな人を見つけて、付き合って、一緒に住むことが最終形だと思っていた。けど、どうやらそうではないらしい。
好きな人と一緒にいることを求めるというより、同じように悲しみから逃れるための術を探している人と、単純にレジスタンスを組みたいだけなのかもしれない。

振り返らないように、逃げるようにして、今日も今日とてノイズの海に溺れていたい。