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酒と音楽が好きなゲイのブログ

わかり合うということ

愛し合うこと=わかり合うこと。だとばかり思っていたけど、どうやらそうでもないらしい。人の愛し方ってどこに行けば学ぶことができるのだろう。相手のことをわかろうとするにはどのような努力が必要なのかとか、そういうことって学校で教えてもらえない気がする。教えてもらっていたとしてもそれはもっと身近なところでいう相手の立場に立って物事を考えるとかそういうところだと思う。もちろんそれはわかり合うことの基本だと思う。
けれど、生活をしていると基本だけではわかり合うことはできなくて、わかり合うためには基本を活かした応用が必要なんだと気がつく。数学の練習問題をたくさん解くのも大事だけど、それだけでは入試の応用問題には太刀打ちできないのと一緒で、おれたちはもっとたくさん考えて、相手を理解しなくてはいけない。勿論同時に自分のことを知っておく必要がある。自分はどういう人間なのかということを踏まえた上で、自分の考えをどのように露出していくかが、わかり合うことの鍵になると思う。
ある時気がついたことがある。毎週ご飯を食べたり、映画を見たり、お酒を飲んだり、セックスをしたり、会社の愚痴を言い合ったり、たまには車で出かけたり、そういうことが恋愛とは思えなくなった。単純にそれは友達とでもできることだと思う。
おれがしたいのは互いの生活を思いやり、わかり合う努力を尽くすことだと気がついた。
生まれたところも、育った家庭も、通った学校も違う人とわかり合うことは難しい。とても難しい。それに、きっとみんなめんどくさいと思う。なぜなら、わかり合うためにはたくさんの言葉や時間を使わなければならないから。
それはジグソーパズルを組み立てたり、積み木を積み上げる作業に似ていると思う。
人間は思ったよりも集中力が持続しないし、飽きやすい生き物だから、そんなにたくさん言葉をかけあったり、時間を使うのを嫌う。めんどくさいと思ってしまう。冷静に考えればわかるけど、それって楽しくないと思う。なんで、わざわざ時間を割いて頭使って考えて、話し合わなきゃいけないのか?好き同士なら、一緒にいて、ご飯食べて、セックスしてハッピー!でいいじゃん!って思う人がほとんどを占めてるはずだ。でもそれはきっと長続きしない。長続きして、絶頂に楽しい瞬間に結婚なんかしたりしちゃうかもしれないけど、同じ人と一緒に長い年月を過ごす中で、きっとどこかかで、寂しくなったり、悲しくなったりするはずだ。なんだか、空っぽな気がする。好きな人と一緒にいるはずなのに、空っぽな気がする。そう思う瞬間が少なからずくると、おれは思っていて、それはなぜなら、互いに互いをわかり合うということをサボってきた。もしくはめんどくさいから、後回しにしてきたからだと思う。おれはゲイだから、男と女は違う生き物という観点において、ここで書くつもりはない。だからこそ、同じ人を好きになる生き物という観点で見ると、多くの人は、”伝わっていた”と勘違いをしていることがある。そう言ったつもりだった。そう言ったつもりじゃなかった。伝わっていると思っていた。何も言わないから、大丈夫だと思っていた。こういった勘違いは徐々に後から効いてくる。確実にお互いの関係にヒビを入れてくる。
世間ではいきなり離婚を突きつけられた、いきなり妻が(夫が)家を出ていった。などという話を少なからず聞く。
ここでよく考えてほしいのは、”いきなり”と決めつけていることである。いきなりとはなんなのか?果たして、本当にいきなりなのか?徐々にヒビが入ったいた瞬間を無視していた、もしくは気がついていなかっただけなのではないか?そして、いきなりと使う人は自分が悪くないと思っている人がほとんどというのもこれまた事実だ。何か、アクションが起きて初めて気がつくのでは遅い。わかり合うことに努力をしなかったら、確実に終わりはくる。子供がいようがなんだろうが、終わりはくる。終わりがこない関係を、おれたちは上手くいっていると勘違いをしないでほしい。それは、どちらかが”我慢”をしているだけです。ここにおける我慢とは、わかり合うことを”諦めた”ということに近い。どうせ言ってもわかってもらえない、言ったところで何かが変わるとは思えない。こうなってしまったのもまた、互いを思いやることに対して努力をサボった結果だと思う。(中には最初からわかり合うことを諦めている人もいるが、それについては今回は言及しない)
残念ながらおれたちには互いを理解しあう手段は言葉を交わすことくらいしかない。だからこそ、時間をかけて考えて、対話をしなくてはいけない。
本来、恋愛とは他人と他人が付き合うということ、つまりはお互いをお互いをどう思いやり、どういう言葉を重ねて、どういった方法で理解し合うか。わかり合うことに努力を尽くすことができるのか。というところにあると思う。一緒にご飯食べて楽しい、セックスして楽しい、それでもいいと思うが、お互いをわかり合う努力をしなかったら、付き合っても長続きしない。もしくはどこかで必ず終わりがくると思う。
わかり合うということはかなりしんどいし、つらいことだ。楽しいとは遠距離にあると思う。けれど、それができないのであれば安易に恋愛などしないことだ。確実に相手を傷つけると思う。
だから、おれはたくさんの言葉を使って、恋人のことを理解し、わかり合う努力をする。論点は、分かり合えるか分かり合えないか、ではなく、わかり合う為に向き合えるか向き合えないか。だと思っている。