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酒と音楽が好きなゲイのブログ

ドグマチール

友達のブログを読んで居た堪れない気持ちになっている。
彼女は高校時代からの友達で大好きな友達の1人だ。人間関係というものは不思議なものでその当時どれほど仲良く毎日を過ごしていても、その当時、詰め込まれていた空間から旅立ってしまってからは顔を合わさない限りは関係が続くことはそうそうないなと最近身に染みて思う。
恥ずかしい黒歴史もその当時流行っていた漫画も音楽も髪型も全部共有していることが友達としての一つのファクターのようなものだと思っていたし、今でも思っている。だからこそ、これまでもこれからも強く友達でいたいと思う。お互い辛い時、というより一方的におれが辛い時に話をうんうんと聞いてくれて、何度も何度もグラグラ噛み合わない線路と車両をちゃんと走れるように調整してくれた。友達というものの定義や難しいことはわからないし、考えたくもないけどそれも一つの在り方であると信じている。
人間関係という見えないものに縛られ、悩まされ、いつも転びそうになる。それでも毎日を生きていけるのは友達というものの力が大きい。これからも会いたいと思う人には積極的に連絡を取っていきたい。
そういえば、似たようなことがあった。

3月の2日に高校時代の友人と2年ぶりくらいに会った。いつものように庄屋で安くてマズイ酒をすすりながら、話をした。おれは酸っぱくて怪しいシメサバを食べた。どんな酒を頼んでもグラスがゲロ臭くて嫌だなと思った。せめて次は鳥貴族に行きたい。なぜ、今日呼び出したのかと聞いたら、会っていなかったからという素直な回答をもらった。それに投げ返す球を持っていなくてキャッチボールは終了した。2年まえ、というか高校時代の彼は(この友人は男、まえの方に話していた人とは違う人ね)どこか頼りなくて、頭が弱そうで、すぐ何かに騙されて損をしてしまうようなイメージがあった。それが今会ってみたら、とても大人になっていたので驚いた。考え方もものの見方も全く違かった。そりゃ、当たり前かお互い22歳になるんだから、そのくらい成長していないとそれはそれで嫌だよなと感じた。彼が成長したのではなくて、おれが停滞しているだけかもしれないとも捉えられた。18:00〜22:00の4時間ほど庄屋で近況報告と今後の話をした。次会う時は初任給で恵比寿にある美味しいピザ屋に行きたいねと笑いあってさよならをした。なんだ、みんなちゃっかり社会人になる準備をしているのだと安心した。ここで同時に向上心が生まれるのがおれのよくない癖である。

22:00過ぎには家に着いたにも関わらず、その他の家人らが風呂に入ってもいなければだらだらとしていて腹が立った。うっかりソファで寝てしまい、起きたら部屋が真っ暗にされていて悲しくなった。家族とは上手に向き合いたい気持ちが強くなればなるほど向き合えなくなる傾向にある。それをここ数年で実感した。お互いを思いやるという気持ちがなければ一緒に住むことなんて不可能だと思うし、皆無だと思うのに我が家ではそういった工夫がどこにもされていない。ただ、うるさくて明るく振舞っているように見えて、みんな傷つけ合っているだけのような気がする。
ぬるくなった湯船に浸かりながら、チャットモンチーを聞いて、ここで憤慨度が頂点に達したため、風呂の壁をグーで思い切り殴ってやった。悪いことをしたあとにやってくる罪悪感はこの時はそれほどこみ上げて来なかった。風呂上がりに食べようと思っていた父が買ってきた餡蜜は見た途端に吐き気がして食べることができなかった。水道水を飲んで、薬の副作用で浮腫んだ顔と向き合って、自分の身や心は自分だけのもので大切にしたいと強く思いながら床に着いた。